創立30周年記念コンサートで歌う「Freie Kunst」(自由の歌)


  市原グリークラブ・コールレルヒ創立30周年記念コンサートで歌うドイツ歌曲に「Freie Kunst」(自由の歌)がある。30年前に市原グリークラブに入団した時、初めてこの勇ましい歌に出会い、各パートの掛け合いが楽しく歌いまくるだけでなく、バスがバリトンの上を歌うところもあって、合唱の醍醐味を一番初めに感じさせてくれた想い出深い曲です。


この曲は19世紀前半にウーラント(Johan Ludwig Uhland 、1787-1862)の詩にシュトゥンツ(Joseph Hartmann Stuntz 、1792-1859)が曲を付けたもので日本では男性合唱曲と歌われてきました。 ウーラントは、ドイツ人に対する特別な贈り物としての詩を賛美し,古い伝統や偽科学に縛られることのないロマン主義における自由な芸術の素晴らしさを歌い上げている。19世紀頃には学生歌として歌われ、青春を讃え、恋を歌い、正義に血潮がたぎるといった内容が強調されてきた。


 1830年代に作曲されたこの曲は日本でもいろいろな歌詞や訳詞がつけられ歌われてきた。1905年(明治38年)に出た「教科統合 少年唱歌」の第8編に収録され、「皇祖」という曲名で大和田和樹が作歌したもので,「日向国より 波路をしのぎ」と神武天皇・神功皇后を歌ったのが最初で、 1920年(大正9年)には慶應ワグネルが「自由な芸術(シュテンツ)」として歌った記録があり、グリークラブアルバムには「旧制の第五高等学校には『フライエ・クンスト』という男声合唱団があって,この曲を団歌にしていました」と書かれている(同団は現在は混声合唱団)。日本語訳の楽譜として,夏目利江(柴田南雄)訳の「自由の歌」,内田伊左治訳の「若き日の歌」があり、 昭和14年(1939年)に新興音楽出版社から発行された「近衛秀麿編注 新興 合唱名曲集 秋本京静作詩」には,「うたへ若人」としてこの曲が収録されている。


 


合唱するときに、詩の意味をして歌うことは非常に重要です。

ここでは1番の歌詞について紹介します。


Singe, wem Gesang gegeben in dem deutschen Dichterwald!

Das ist Freude, das ist Leben, wenns von allen Zweigen schallt,

das ist Freude, das ist Leben, wenns von allen Zweigen schallt.

Nicht an wenig stolze Namen ist die Lieder kunst gebannt;

ausgestreuet ist der Samen ueberalles deutshe Land.

 (最後の行 u ウムラウトは ue と表示しました)


(直訳では)


ドイツの詩人の森で歌を与えられた者よ、唄え!

それは喜び、それは人生だ、全ての木々の枝に歌が反響したとき、

それは喜び、それは人生だ、全ての木々の枝に歌が反響したとき

歌の芸術は誇り少なき名前からは出てこない、

全てに勝るドイツ国の種は蒔かれる

(夏目利江の「若人の歌」の日本語訳詩では)

歌えいざ若人 声も高らに

褒めよ讃えよや 若き命を

褒めよ讃えよや 若き命を

 ■愛の喜びに 心はおどり

 ■正義の怒りに 血潮は滾(たぎ)る

時は楽し 声も高らに 歌え若人


この歌を聴いたドイツ人は心から喜ぶことが想像できます。ドイツに生まれた幸せと永遠のドイツを讃美するこの歌にドイツ人は狂喜するに違いないことがウーラントの詩から想像できます。夏目利江の「若人の歌」とは全く違う意味を持っていることを知ったうえで、この勇ましい歌を若人?らしく歌ってみたいと思います。



バス:桐田