令和元年 市原市合唱祭 「月光とピエロ」

 第53回を迎えた令和元年の市原市合唱祭は、市原市の文化祭行事のトップを切って9月29日(日)市原市市民会館大ホールで開催された。出場14団体(うち合唱連盟に所属する9合唱団)で、今年から幼稚園の出演はなくなり市内の2高校が初出演した。出演時間は演奏を含めて15分、午後1時開演となった。

 市原グリークラブは、5月に堀口大学作詞、清水脩作曲の「月光とピエロ」決め練習を開始した。この曲は市原グリークラブでは2回目の演奏で、第1回目は合唱経験が全くない私が入団した27年前、48歳の時だった。初めてこの大曲に遭遇し男声合唱のすばらしさ体感しただけでなく、男声合唱はあれからこんなにも永い間飽きっぽい性格の自分を虜にしてしまったのである。

 当時は、ほとんどの団員が大学でコーラスを経験しているか会社の合唱団で歌っている人であったために、その中に入って声を出すのに自信がなく、また変な声を出すとすぐ指摘されることもあって、家に帰ってもよく練習したことを覚えている。合唱祭前には岩井の音楽民宿での合宿練習で、当時30代だったの山本先生にたっぷりしごかれたことが頭に浮かぶ。万全を期した練習で曲を仕上げ本番に臨むものの、ステージでは初めて経験するまぶしすぎる照明と当時まだまだ若かった女声合唱団の視線に晒されてすっかり舞い上がり、演奏中の記憶はあまりに乏しい。

 練習でたっぷりしごかれたせいか、28年ぶりとはいえ曲はかなり頭に残っており、初心を思い出し当時を振り返るいい機会になった。

 合唱祭までたっぷり時間があると思っていたところ、8月末に五井病院での慰問コンサートが開かれることになって、この準備と並行して合唱祭の練習をすることになった。月2回の練習では五井病院の慰問のコンサートの準備で手いっぱいになることが予想され、さらに今年の合唱祭は9月29日と例年より早くなったために最悪の事態が想定された。

「月光とピエロ」5曲中4曲を歌うこととなったが、第一曲は五井行院で歌う曲に組み入れて早めにものにしようと考えた。また、8月から練習時間を従来の3時間から4時間に延長し、さらに9月の練習日を3日にし、直前に臨時練習日をさらに1回追加して取り組むことにした。初めてこの曲に取り組む人も数人いて大変な挑戦になってしまった。

 有名な合唱曲のせいか、ユーチューブではいろいろな合唱団が歌っており、これを録音して時間があれば聴いて勉強するとともに、セカンドテナーの青山さんが紹介してくれた男声合唱のための音取りサイトから、バスのパートをダウンロードしてメロディを頭に叩き込んだ。

 五井病院の慰問演奏会の後の練習は、私たちも必死なら先生も必死で、本番1週間前の練習ではまだまだ人前では歌えるレベルではなく、落胆を隠した先生の励ましの言葉に勇気を与えられることが多かった。9月9日の早朝に千葉県に上陸した台風15号の停電や被害に遭遇した団員もいて、練習もままならず絶望的な状況の中、9月23日(月)午後、最終の臨時練習が有秋公民館で行われた。台風の被害や個人的な都合で出席できなかった人もいる中で、運よく出席できた人だけで真剣な練習が行われた。真剣勝負の練習が続き、微かな光明が差し始めたことを感じさせるようなハーモニーが流れ始めた瞬間がきた。安堵した先生の顔とようやく蘇った団員の笑顔に、明後日の合唱祭の成功を確信した。あとは本番当日の五井公民館での直前練習にかけるしかない。

 合唱祭当日は、舞台設定にお手伝いをした後、10時から直前練習に参加した。合唱祭の委員をしている団長、副団長を除いて全員が参加した練習は、いつになく緊張感が漂い張り切る先生の声もやけに響いて、熱気が渦を巻くように視聴覚室を満たしていた。今まで聞いたことのないようなハーモニーが跳ね返ってくる、声も出ている、表情もいい。やればやれるではないか。あとは自信をもってやるだけか。いつものごとく先生のダメ押しが続くがちっとも気にならず、淡々と修正が続く。この気持ちで前から取り組んでいたらもっと違ってきていただろうに、と思うのはいつものことながら、今回は本当に残念でならない。五井病院の演奏会がなければ楽勝だったのに、とつい愚痴が出てきてしまう。でもこの多忙の中、さらに例年にない夏のあの暑さの中、五井病院の演奏会を実現できたことは本当に自信になったし、いい活動ができて感謝の声さえ出てきてしまう。

 直前練習を終え昼食後に会場入り、今年の出番は今まで経験したことのない2番目、午後1時開演してすぐ会場のざわめきが納まる前の出番は難しい。

 例年のように団の紹介のあと、ステージに整列して出だしの音がピアノから奏でられる。客席はまばらで出演者に加えて200人程度の入りか。合唱愛好者らしき人が結構いるようで、的確な拍手は大きな支えになる。

 第一曲目「月光とピエロ」は「月の光の照る辻に、、、ピエロ寂しく立ちにけり、、」とが始まる。出だしはまあまあ、バスの「ソ」の音が低くうなっている。

 8月末に団に復帰した松永さんのお陰で、脇田さんの休団で心配された桐田一人だけのバスは何とか回避できた。永年バスで歌ってきた松永さんとの共演は心地よく幸せな時間となって訪れてきた。

 第1曲目の聞かせどころは、悲しみに暮れる哀れなピエロの姿を、夜の淡い月の光に濡れたように浮かび上がらす静かな語りから始まる。Pで静かに入る出だしからバランスの取れた各パートの和音の美しさに観客はまず驚き、物語がfで力強く動き始める。クレシェンドからデクレシェンドへと大きなうねりは最後まで続く。我々にはここのPの出だしは本当に難しく、各パートがバラバラに聞こえてしまいそうな錯覚に陥る。音が下がってしまうのではという恐怖からか、ついつい大きな声になってしまう。「コロンビウム、コロンビウム、、、コロンビウム、、、と続くところは、各パートのメンバーが少ないので実力が観客に分かってしまうところ、最後まで音程は立派に保たれている。今までで一番いい出来かもしれない。しかし全体的に余裕がなく少し一本調子になってきている。もっと強弱のうねりが欲しいところだ。

 第1曲を終わって静まり返った会場に敬意を払いつつ第2曲「秋のピエロ」へ。「秋のピエロ」は、自分の姿を否定肯定しながら一人芝居を演じるも秋の寂しさには勝てない。激しい感情の起伏をどう表現するか。私はこの組曲5曲の中でこの曲が一番好きで、27年前も確かそうだった。「秋じゃ秋じゃ、」と歌うところがピエロの人生をさらに悲しく見せている。fで始まる歯切れがいいはずの出だし「泣き笑いしてわがピエロ、、」で少しもつれるも乗り切る。あとは力強く進むだけ、しかし音程に迷いが生じる。音程が正確なテノールの声が浮き出ている。おかしい。「Oの形の口をして、、、」でどうにか立て直し乗り切る。Pで始まる「月の様なるおしろいの、、、」は各パートのバランスを気にするも、緊張のあまりか声が固い。PP、ffと強弱が続くが、我々にはその余裕もなく、流れに任すだけ。あの短い練習時間では仕方なしと自分を肯定しながらの演奏ではだめ。先生のダメ出しが続いた指摘が頭をよぎる暇もなく、先生の指揮を見つめるだけで精いっぱいというところかも。最後は音程が崩れるも強引に押し切る。出来は第1曲よりも少し落ちる。

 第3曲は「ピエロの嘆き」である。練習中から一番ダメ出しが多かったところである。「悲しからずや身はピエロ」で始まる。運命に流されざるを得ない人生の悲哀を短い詩に込め、悲しみに打ちのめされた厄介なハーモニーは難しい。前半は予想に反していい流れでバスの「踊りけり、歌いけり」に繋ぐ、ここまでは完璧?。「月はみ空に身はここに、身すぎ世すぎの泣き笑い」、ここは練習中から指摘があったところで、歌っていて気持ちが揺らぐ和音となってしまった。また2回目の「泣き笑い」の「わ」は、日本語の特性かもしれないが極端に音が下がってしまうのは今後の大きな課題だ。いろいろ反省すべき点もあるが、ここまでは何とか乗りきれた。でも3曲中出来は最低か。

 終曲は「月光とピエロとピエレットの唐草模様」。練習ではたっぷり時間をかけたところだ。最後良ければすべてよし、と行きたいところだ。

 バスが「ロー、ロー、、、、」と先陣を切り「ピエロピエレット、ピエレットピエロ、、、、、、」と内声パートが軽快に入り込んできて、「月の光に照らされて、」とテノール響く。バスの「ロー」は練習で絞られたところ、テンポを刻むように落ち着いて力強く腹から出す。この曲はテンポが重要で、前半は抑え気味ではあるが一定のテンポで、後半の上りは舌が縺れる限界まで早くテンポを刻み、最後に「ピエロ!」と、やるせなき絶叫へ。出だしは良かったと思う。テノールがソロを歌うところからテンポが急に上がりだして、内声の「ピエロピエレット、、、」がせかせかしてきたのが気にかかった。後半になって一部のパートが下がり気味になったがどうにか持ちこたえた。最後は強弱記号無視で大きな声を出して歌い切ったという感じ。聴く人にとってはいろいろと注文はあるだろうが、歌い切った満足感とともに苦労してハーモニーを作ってきた仲間に感謝でいっぱいです。

 限られた練習時間で良くぞここまで仕上げたものだと自画自賛するのはおかしいかもしれないが、私は素直に喜びたいと思う。音程が不安定でテンポに乗り切れず特定の音が下がるなど問題はいろいろあるが、先生に指導を受けながら上を目指したいと思うのは団員全員同じではないでしょうか。今日はそれを確信する1日になりました。これからの力を合わせて頑張りましょう。

市原グリークラブ バス 桐田勝夫