合唱祭は「月光とピエロ」に決定

 2019年市原市合唱祭で「月光とピエロ」を歌うことになりました。この曲は私が市原グリークラブに入団した27年前に初めて歌った曲で、確かこの年の合唱祭で歌った記憶があります。団としても発足初年度の合唱祭への参加だったと思います。

 合唱祭直前の岩井合宿で山本先生に鍛えられたことはもちろんのことお酒を飲みながら夜遅くまで合唱談義で盛り上がったことが懐かしく思いだされます。合唱団に入って何もわからない自分にとって、あまりの難しさに合唱団をやめようかと思った瞬間もありましたが、この曲の中で、人生が背負う悲しみを伝える日本語の美しさと男性コーラス独特のハーモニーに惹かれて75歳のここまで来てしまった原点でもあった気がしています。

 清水 脩(おさむ)作曲、堀口大學作詞の日本最初(世界最初ともいわれています)の合唱組曲として有名な曲です。とくに堀口大學の実体験に基ずく処女詩集「月光とピエロ】等から選ばれた5編の詩は強烈でその背景を知りたいと思うのは誰でも同じなのではないでしょうか。

 以下Wikipedia によれば、堀口は1915年(大正4年)、外務省の高官であった父親の勤務地マドリードで、当時ドイツの男爵夫人であったマリー・ローランサンと出会う。堀口はローランサンにギヨーム・アポリネールの詩を紹介されて後に「ミラボー橋」などを邦訳することになるが、アポリネールとローランサンの悲しき恋をピエロに託して詠んだのが『月光とピエロ』である。

 アポリネールは詩集刊行の前年に戦地での負傷がもとで病没する。作中のコロンビイヌ、ピエレットのモデルはローランサンで、彼女にかなわぬ恋をするピエロのモデルはアポリネールと考えられている。もっともピエロは堀口自身であると解釈する説もある。

 清水は第1回全日本合唱コンクール(1948年)の課題曲公募に際し、詩集”月光とピエロ」の中から「秋のピエロ」を選び、単曲の男声合唱曲として作曲し応募した。結果、課題曲として採択される。

「秋のピエロ」が好評を得たことにより、のちに清水は、詩集から4編の詩を選び、「秋のピエロ」も加えた全5曲の男声合唱曲を作曲する。このとき連作歌曲様式を採用したことが、日本のみならず世界初の「合唱組曲」となった。

 ヨーロッパの悲恋を題材としながらも、曲自体は日本の伝統的な音階を基調にして作曲されていて、これにより日本の合唱愛好家に広く受け入れられ今日まで長く演奏され続けている。

組曲構成は全5曲からなる全編無伴奏である。「ピエロの嘆き」のみ詩集の第2章「EX-VOTO(ささげ物)」から採られ、残りの4編は第1章「月光とピエロ」から採られている。曲順は詩集の掲載順に拠らず、清水の作曲上の構成によるものである。

1.月夜

 ト長調(以下、冒頭の調性は、すべて原曲の男声合唱版による。冒頭のdoloroso(悲しく)はこの組曲全体を印象付ける発想(他の4曲には速度と強弱の指示のみで曲想に関する指示がない)。月の光の中で一人佇むピエロ。「しみじみ見まわせどコロンビイヌの影も」なく、涙をながすしかないピエロ。

2.秋のピエロ

 イ短調。「秋じゃ秋じゃ」と歌う心も寂しい。「Oの形の口」は心の奥底からのひびき(dolorosoという言葉の母音も全てOである)。「身すぎ世すぎの是非もなく」(アポリネールはいわれのない罪を着せられ、ローランサンとの破局につながる)、おどけてみせるしかない。かなわぬ恋に「月夜」に続いて「なみだを流す」。

3.ピエロ

 ニ長調。「ピエロは月の光なり」。顔を真白に化粧して明るく装っているが、心はただただつらく寂しい。

4.ピエロの嘆き

 イ長調。「月の孀の父無児」(実際にアポリネールもローランサンも私生児であり当時のヨーロッパでは差別の対象であった)。お互いの境遇に同じものを感じていたのかもしれない。

5.月光とピエロとピエレットの唐草模様

 ト長調。現世ではかなわぬ恋、アポリネールとローランサンが運命の風に弄ばれている様を、男女のピエロが歌い踊り続ける情景にたとえている(詩中「ピエロ、ピエレット」という一体化した言葉が10回、曲中ではさらにそのフレーズが幾度も繰り返される)。

 深い意味が隠された言葉言葉の連続で、メロディも斬新なことから簡単に歌える曲ではなく、歌っていて重苦しく本当は歌いたくなかったのが本音ですが、27年間の合唱経験を経てこの曲は私になにを感じさせてくれるのかまた新たな楽しみでもあります。今年は山本先生合唱指導30周年に向けて、混声合唱組曲「筑後川」への挑戦もあって楽しみがいっぱいです。みんなで頑張っていきましょう。

                              バス:桐田勝夫