演歌は合唱に有害か

   私は鳥羽一郎がデビュー以来のファンで、その鳥羽一郎愛は未だに揺るぎそうもありません。“兄弟船”でデビューした時のさわやかで力強い彼の歌声は、長い間忘れていたふるさとの磯の匂いと海の香りを感じさせてくれました。凍える冬を指を折りながら春を待つ北の漁師町で育った私にとって、午後になって急に荒れた吹雪の海で大波に翻弄されながらも、必死に岬の港を目指して帰ってくる30トンにも満たない漁船の群れを探して、小さな灯台に迎えに集まった村人の祈りの姿を思い出すたびに、鳥羽一郎は私の心の中で特別な存在になっていきました。

   “下北漁港”“男の港”“海の祈り”と次々に飛ばすヒット曲は、瞼の裏を独占するふるさとの海の豊かさを信ずる者の心を鷲掴みにしてきました。朝焼けに染まった海、大きな太陽が音をたてるように沈む海、聳え立つ鳥海山を影鳥海として映してくれた海、冬の季節風が吹き荒れ白い泡で埋まった荒磯の海等々が、鳥羽一郎の演歌で蘇ってくる幸せの時間を与えてくれました。

 船村徹と星野哲郎のコンビが提供する演歌は、鳥羽海岸の海女のお母さんのもとで育ち、北洋遠洋での漁師経験を持つ鳥羽一郎にしか歌えない歌のように思えました。鳥羽一郎の演歌の特徴は、あの叙情あふれた船村節を彼しかできない独特のこぶしで、星野哲郎の詩を自由自在に操るところにあります。本物の漁師しかできない力強い癖のある歯切れのいい日本語の発音と、鼻腔を効かし絞り上げた高音の響きが絶妙にバランスして私を虜にしたのです。とくに母シリーズの“母のいないふるさと”“海の匂いのお母さん”は絶品です。是非一度聴いてみてください。

鳥羽一郎が世に出て20年後、私の鳥羽一郎愛もピークを迎えていました。カラオケはすべて鳥羽一郎、鼻歌も鳥羽一郎、ステレオ、ヘッドフォーンも鳥羽一郎、鳥羽一郎の歌ならほとんど歌えると自負して、お酒を飲んでは運が良ければなれたかもしれない海の男、それも北洋で荒波で揉まれながら命を懸けて一生懸命働く漁師となって、飲み屋だけではなく毎日どこでもそれに酔っていました。

 合唱との運命的な出会いをしたのは実はこの時期でした。まさか合唱が一生の友となるとは思ってもいませんでした。まして演歌特有の“こぶし”“しゃくり”などが合唱の障害となり歓迎されていないことなどは全く知らず、合唱の門を叩くことになったのです。

 演歌と合唱は共存するのか、演歌好きは合唱がうまく歌えないというのは本当か。

 演歌を歌うときはこぶしを効かせ、何種類ものヴィブラートを使いこなし、喉を絞って緊張と意志の強さと伝え、喉を緩めて揺らぎをもって豊かな情感を投げかける。この技巧が合唱の障害になるのでしょう。

一発で音程をとらえられず、音程を探すような演歌独特の発声は簡単なものではありません。音程を探り当てた後もその音の後処理がうまくできず、こぶしで音が揺らすなど、合唱の練習では山本先生の指導の餌食になってしまうような歌い方をするのが演歌だからです。

私はこの演歌の世界から合唱団へ、当初は演歌の歌い癖が合唱に支障があるとはつゆ知らず大きな声で歌っていましたが、一回で音程をとらえられず下からしゃくるような歌い方を山本先生は許すはずもなく、何度となく指摘されて合唱らしい発声ができるようになるまでは時間がかかったことを覚えています。今では演歌は演歌の発声、合唱は合唱の発声ができるようになりましたが、こぶしの切れは昔ほどではなく迫力のある演歌は歌えなくなったような気がします。しかし演歌は昔以上に好きですし、歳を重ねて高音域が出なくなったとはいえ憧れの鳥羽一郎は年相応の変化を遂げて演歌を楽しませてくれます。昔の顔からは想像ができない凄みの効いた顔で演歌を歌う今の鳥羽一郎もまたいいものです。

 結論ですが、合唱の歌い方と演歌の歌い方を区別できれば、私のレベルでは全く問題がないと思います。

   演歌は有害であるどころか、私は鳥羽一郎を聴けばどんな時でも眼前が明るく開けて元気になることができます。そして若い時の彼と一緒に歌っている自分に気が付きます。自分の歳を忘れて。

   最近、また歌いだした鳥羽一郎の“泉州春木港”“来島海峡”“旅枕”は曲だけでなく歌詞に痺れています。

                                                                                                                    バス:桐田