匙(さじ)

 年末に、片付けをしておりましたら、昨年、北鎌倉の「円覚寺佛日庵」を訪れ拝観したおりにいただいたリーフレットが出て参りました。何気なく目を通すと良いことが書いてあったので、誠に私的ではありますがブログに載せさせていただきます。新年を迎えるにあたって心が新しくなるような心持ちがしましたもので、、、



 「匙と言うものは1日何回となく汁の中につけられるが匙には汁の味がわからない。

 しかし舌に汁を一滴たらせば一度で味がわかる。どんな立派な人に接しても、立派な書物を読んでも、匙の様に無感覚ではいつまでたっても何もわからない。たとえ万巻の書物を読み高等教育を受けても、学問が身につかないのでは何もならない。

 他人を苦しめて自己の安楽を望む者は恨みの絆に縛られて恨みより逃れる事は出来ない。この様な人にならぬ為、今年も日日悔いなく過ごし小さくても1日一善必ずする様に心がけましょう。」鎌倉 円覚寺佛日庵 のリーフレットより (出典は不明)



IGCで、歌っている時に、自分が「匙」になっていないだろうか?

マンネリになっていないだろうか?

常に新鮮な心持ちと姿勢で望んでいるだろうか?

合唱に限らず、いろいろな場面で「匙」になっていないだろうか?

「匙」ではなく、「舌」で接しているだろうか?

恨みに縛られて心を汚し、他人をも苦しめていないだろうか?



なんだか、偉そうで、わかった風で、偽善者ぶっているようで、、、、

でも、正月くらいはご容赦いただきたい。

ご容赦いただく変わりにこの思いを年末まで忘れないようにしたいと思っています。


「人、己、心、腹、気、口、命」

人は大きく、己は小さく、心は丸く、腹立てず、気は長く、口を慎めば、命長かれ。



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