宮原さんのブログをみて思い出した。

 宮原さんのブログ投稿をみて入団当時の感激を思い出しました。

 1992年の7月頃、グリークラブができて数か月後でしたがテニスを教えていたお子さんのお父様がグリークラブのセカンドテナーを務めていたご縁で入団させていただきました。

 入団の日はヤマハ音楽スクールを借りての練習日で、先生が先に来ていて入団をお願いしたところ、声を聴いただけでバスだねと言われそのままバスの一員としてすぐ練習に入りました。カラオケは好きでまだ48歳と若かったせいもあり、漁師の香りがプンプンする鳥羽一郎愛が体中から溢れていた頃でした。合唱は小学校以来で嫌いではありませんでしたが誘いを断りできず、この時はこんなに人生に彩を与えてくれるとは知らず、何の風の吹き回しかわかりませんが運勢に導かれるままに入団しました。

 その頃のグリーは創団に関わった合唱経験者が大半で年齢的にも30代後半から50代前半の人がほとんどでした。練習で初めて聴いたハーモニーに心は舞い上がりアドレナリンが迸って気持ちの良かったことを思い出します。クラリネットを少しやっていましたので音楽は少しはわかっていたのですが、男声合唱を聴いたのは初めてでその重厚で深い響きに圧倒されました。隣に東宮さんというミスターバスと言われる人、そして元団長の松永さんがいて、その間で気楽に声を出していました。家に帰っても音取りもせず練習日には両巨頭に囲まれてなんとか声を出して、歌うよりは低音の響きの中で癒されていたような感じでした。

 あれから26年を経て未だにこの快感から抜けることができず、合唱を生涯の友としていることが不思議です。もし合唱に出会えなかったら私の人生はどうなっていたでしょうか。今では合唱を進めてくれた人に感謝しています。徳山での単身赴任の2年は地元の男声合唱団「メールソレイネ」で歌わせていただき充実した生活を送らせていただきました。

 現在はグリークラブの男声合唱を楽しみながら、市原市楽友協会で毎年暮れに演奏するオラトリオの演奏会に参加していますが、ハーモニーの虜になってしまったからにはとことん楽しんでやろうと思っています。でも合唱は一人ではできません。一緒に歌ってくれる友がいて初めて成り立っていることを考えると、日ごろの言動や行動に反省あるのみです。これからも一緒に頑張っていきましょう。

                               バス:桐田勝夫