2018市原市合唱祭に参加して
市原グリークラブ バス 桐田勝夫
今年は例年より早く9月末の開催になりました。今までアカペラで重厚なハーモニーを楽しんできた市原グリークラブには異例ともいえるピアノ伴奏だった昨年の「美しき青きドナウ」に続いて、今年はJ-POPから2曲、ゆずの「栄光の架橋」、中島みゆきの「誕生」のいずれもピアノ伴奏で演奏した。どちらも知っている曲なので今年こそは演奏会までには暗譜で最高の状態にもっていきたいと考えていたが、練習では楽譜通りに歌うという厳しい指導に、ゆずやユーミンが歌ったものとは全く別の歌という感覚で取り組んで、ようやく合唱曲らしく仕上がりました。音程はともかくリズム、テンポが取れず、ターンタタッタ、ターンタタッタは演奏会当日の午前練習まで悪戦苦闘の連続でした。
演奏は最後から2番目で、開演13:00で我々出番は17:00頃なのでそれまではじっくり他の合唱団の演奏を拝聴することができました。毎年1年づつ歳を取って高齢化していく団員、若い人の入団が途切れて一人二人と減っていく各団の現状を憂いながら、それでも現状を認めつつも必死に頑張っている姿に感動を受けました。我が市原グリークラブも同様ですがこの状況を打開すべく一日も早く全員で協力して団員を増やす努力をしなければと痛感した次第です。
市原グリークラブがコールされて舞台へ、今年はやや暗めのライトの下、純白のジャケットに黒のズボン、棒タイのいつものスタイルで整列して、団の紹介を聴きながら高ぶる気合を抑えながら、ピアノ伴奏のスタートを待った。グリーとの初共演の栞ちゃんが指が鍵盤で踊った瞬間、J-POPへの初挑戦がスタートした。
「栄光の架橋」はこのスタートの ”だれーにも―”の ”だ” の出だしの揃いが、命である。会場に声が響いた瞬間、うまくいったと思った。男声らしい落ち着きとつやのある声が会場に響いた。かすかではあるが会場に音にはならないどよめきが走ったのを感じた。そして、鬼門の ”決して平らな道ではぁなかった”に入る。”みちではぁなぁかった”で指揮を振っている康童先生の顔がゆがむも気にせず先を急ぐ、気がつくとみんなの声はMAXで制止の効かない猛牛のようになって終局へ、”きみの、きみの”の繰り返しを確認して、後は間違えようのないエンドへ。
興奮冷めやらぬまま2曲目「誕生」へ。”ひとりでも私はいきられるけど”は確実なテンポが要求される。練習の時からこのテンポについて行けず指揮が速いと文句を言う人もいたが、ついて行けないのは我々の口の縺れ、そっと語り掛けるようなそっと口調で軽快にテンポを取ることの難しさを本番でも実感。ここでも平気な顔で乗り切るすごさが我々には備わってきたなと感じながら、”Rememberァ”で正気に返る。この節は何かしら歌っていて幸せを感じるところ、歌ってきて本当に良かった、グリーに入ってそしていい友達に巡り合えて良かったとしばしの至福を感じる瞬間だ。そしてジャズの伴奏に振り回され疲れが出たころ、最後に転調して最後のあがきに入る。”そしておぼえて、そしておぼえて”の繰り返しも息絶え絶えに終局へ向かう。”アァーアァーアア ムーン” 本当にお疲れさまでした。
会場いっぱいに広がった男声合唱の地鳴りがするような響きで、観客の拍手は鳴りやむことを忘れたみたいに鳴り響いた。興奮した観客の中にはハンカチで涙を拭う人もいたと聞く。J-POPに取り組んだ2018の春から夏、記録的な猛暑の中、みんなよく頑張りました。市原グリーの新しい歴史が始まったような感覚さえ覚える挑戦でした。
今日の演奏に点数漬けるなら私なら80点はあげたいと思う。月2回という少ない練習時間でよくもここまで仕上がったと思う。本当にいい演奏でした。康童先生が、最終練習で演奏で強弱をつけるレベルにまで行っていない、ようやく音程とテンポが良くなったレベルですと言われた。我々の演奏のレベルは康童先生から見たら30点以下かもしれないが、先生の目指すレベルを目指して盲目的でいいから頑張っていこうと思いました。
市原グリークラブは今年の合唱祭でも輝いていました。他の合唱団の希望の星はこれからも輝き続けるでしょう。
J-POPなら歌いたくない、自分が目指すのはアカペラで重厚な男性コーラスと言って団を去った団員がいたことは悲しい出来事でしたが、彼もいずれJ-POPを認めて戻ってくれる日が来ることを祈っています。
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